ランスアームストロングが癌から奇跡的に帰還した事は有名だ*1。それは、彼が有名人で世間の人に認められるだけのことを成し遂げたからだ。でも、世間には無名の癌から生還した人は多く居る。そして、家の父もその1人だ。彼は、かなりなハングリー精神を持った野心家で、とにかく大きな柱のある大きな事務所で働きたかったのだそうだ。そして、就職難の時代に、毛筆の手書きの履歴書を引っさげて(これは、大学生の頃見た事があるがとても私には書けない立派な字体だった)九州の南の果ての大学(とある事情で農家に戻った一家の、9人兄弟の次男で7人は女姉妹。お兄さんは東京の大学に行ったので、彼は飛行場跡地の農地を耕すために家から出ることは出来なかった)から、日本の一流企業に就職したのだ。そして、色々な部門を経験しやっと先が見えたと思った頃に、行きつけの耳鼻科の先生ではなかなか治らない蓄膿症を会社の事務所のそばの先生に診て貰いに行ったところ、先生は青ざめながら紹介書をしたため父にこういったのだ。「すぐに国立がんセンターに行ってください。」がんセンターでは、当日検査し、即入院。翌日オペだった。病名は「上部咽頭がん」なかなか、症例の無い事例だったそうだ。リンパ節に転移していたので、左頸部の筋肉と共に切除。内部は取り切れないのでX線で焼く事になった。翌年は右側にも転移が発見され右頸部の筋肉も同様に切除。冷静になってみると結構壮絶だ。しかし、彼は大いに泣き言をこぼしながらも社会復帰しゴルフを覚え、自動車の運転免許を取り、親子喧嘩をしながら我々4兄弟を育ててくれたのだ。
今は、更にもろもろの病気を身につけつつ母親と二人で仲良くやっている。きっとこんな幸せな人は他にも大勢いるのかもしれない。しかし、それは一握りだ。父ががんセンターにいた頃、小児癌の病棟には自分がそんなに大変な事が良くわからないまま、一生懸命に自分の病気と闘っている小さな子供がたくさんいた。大人の病棟にはもう助からない人が大勢いた。だから、我々は自分が健康的で自由に自分の意思で生きられる事に感謝しなければならないと思う。そして、運悪くがんに侵された人たちには力強くがんと戦って欲しいと強く思う。だから、ランスがツールで6連覇を達成した事は大変素晴しいと思う。彼がARMSTRONG基金を起こし、がんの人たちのために立ち上がった事は素晴しいと思う。皆が手首に黄色い輪をはめる。その時、それはがんの人のためだけではないのだ。健康な人はその事に感謝し自分自身の人生を素晴しいものにすること、逆に、その願いを貰っているはずだ。

*1:詳しく知りたければ「ただ、マイヨジョーヌのためでなく」をお読みください