23日も24日も本当に天気はよかった。TAXIの運転手さんが「本当に春のごとなったですけんね。」と言っていた。
中途半端に寝て、ボケっとしていると母が風呂に入っていた。給湯器の温度が上がらない、と言っていたのだが私も母の後でシャワーを浴びたけどやっぱりわかんなくて、後に誰かが台所が優先になっているのに気付いた。告別式は13時からなので、ちょっと余裕があった。窓から見えるモスにコーヒーを飲みに行く事にした。*1モスの横はコンビニで、地元の新聞と朝■新聞を売ってた(日経はパス)ので買っておく。モスではチーズバーガーと有機栽培コーヒーにする。結局、1杯では足りなかったので普通のコーヒーを追加したけど有機栽培のほうが2倍ぐらい味が濃かった。で、新聞のお悔やみ欄をチェックし間違いの無い事を確認した。妹に電話すると丁度葬儀屋が実家の方に来て49日まで使う祭壇を設置してくれている最中だった。
斎場に戻ってダラダラしていると、ホテルに泊まった組の人たちも集まり始める。仲が悪いと言うことは無いのだけれど、父方と母方はあまり会話も無く淡々としている。暇だし勿体無いので昨晩用に頼みすぎた御通夜セットの海苔巻きなんかをつまんでたら、TVは荒川静香の金メダルで持ちきりである。皆暇なので、良かった良かったと繰り返し朝の番組を見ていたが、TVの方も一息ついたところで父方組が何時の電車に乗ると問題なく帰り着くのかと言う話で盛り上がる。*2結局、火葬場で炉の中に入れるところまで見届けてJRの駅に向かえばそう遅くならずにたどり着ける事がわかる。平日の昼間なのでワザワザ指定は取らない方が良いだろうと言う線で落ち着き、荷物預かりと普段着への着替えは斎場の方で引き受けてくれた。何てことをやっていると意外に早く時間は過ぎて、手荷物を妹の自家用車に移動させたり秒読み段階に入る。
お坊様が見えて、49日までは法要をお願いしますと言う事で話がまとまる。お寺は結構遠くの方なんだけど実家のすぐ下に檀家もあるみたいで、実家の場所はわかりますよと言ってくれた。で、肝心の戒名を頂く。
 

専心院雄岳浄道居士

昨日、父の事を若干立派風に話してしまったので立派な名前を頂いてしまった。天国では少し緩んで欲しかったんだけど、またまた気合の入った仏様のお弟子になってしまうのではないだろうか?
喪主は母なんだけれど、一応子供の代表と言う事で最後の挨拶をしなければならない。葬儀屋から一応こんなのでどうですかと渡された下書きは熟語ばかりであまりに立派な文章なので全く参考にはならず、出たとこ勝負を決め込む。
大阪の父の兄の長男のいとこも来てくれた。私は駄目人間なんだけれど、彼らは本当に立派な人で頭が下がる有難い。
その他、父の昔の仕事関係の方やらが意外と大勢見えて椅子の方もほぼ埋まって有難い。で、何となく式は始まってしまい昨日から耳慣れてきた『南無阿弥陀仏』のお念仏が繰り返される。この辺になると、精神的に不安定になってきたのか?それとも逆に緊張が切れてきたのか、ふとした瞬間に涙が出そうになる。母が喪主として1人でお焼香をし、その後親族→お見えになった方とお焼香が進む。皆さん、こちらに一礼を下さるがお焼香台が五個ばっかり準備されているので、こっちは頭を上げる暇がない感じ。ついに、お礼の言葉となったけれども何で俺泣いちゃってんだっけ?っ手感じ。小学校の卒業生代表の言葉にも及ばない内容で本当に情けない限り。最後のお別れです、とか言われて家の小僧の手紙や花でお棺の中を一杯にして蓋をした。母が釘打ちはしないで欲しいと希望したのでそれでおしまい。
で、母が位牌/私が遺影/弟が骨壷を抱えて叔父達と妹のだんな、息子が御棺を持っていよいよ出棺。グッズ担当の3人は霊柩車*3。親族は精進落としの会を頼んだホテルの出してくれたマイクロバスで火葬場へ向かった。火葬場はすぐ目と鼻の先だった。意外と大勢の人出だった。窓口で火葬代6000円也を支払った。その場に設けてある祭壇に位牌を置いて皆で手を合わせたら、御棺はあっさり炉の中へ。あと、1時間半ぐらいかかります、と言われた。
後は、斎場が近くに持っている休憩所に移動しお茶を飲み雑談。私と母が葬儀屋の担当君と打ち合わせをしていると、父方組みの帰宅時間となる。タクシーチケットをあっという間にとんぼ返りのいとこに渡し、お年寄りの団長を勤めてもらう。本当にあり難い。
お茶を飲みすぎてお腹がタポタポしてきた所で、焼きあがったと電話が入る。トボトボ歩いて戻ったら、既に全開状態になっていた。さすがに一瞬こんなになっちゃったのかと衝撃感が。。。しかし、担当者が「これが仏様です。最後に骨壷に入れてください。。。」と始めてくれたので、ぼやぼやしている暇はなかった。父は骨はがっしりしていたので、崩れてはいたものの結構立派なお骨だった。なるだけ多く拾って出来上がり。帰りは私が骨壷を持った。
後は昔は100万ドルの夜景と言われて有名だった?山の中腹にあるホテルで精進落としの会をやって出来上がり。夕方実家に着いたら丁度暗くなった。葬儀屋の置いて行った祭壇の設定写真を見ながら、花やお供え物をセットしお線香を上げたらそれらしくなった気もした。ああ、やれやれという感じ。
何だか後は良く覚えていない。飯はもう食わなかったんだっけ?酒は無かったんだよな。。。オリンピック見てたんだっけ???
夜は祭壇の前に布団をひいて寝た。

*1:叔父叔母用に頼んでおいた和朝食にコーヒーがポットでついてたのは後から気付いた

*2:なんせお年寄りの団体さんなので、同じ話を何回も繰り返さなくてはならない。。。

*3:今度はリンカーンだった。