メガばあ

来年は法事が忙しい。と言っても浄道さんのはちょっと出られないが。で、以下は祖母にまつわる思い出。
祖母*1は原爆未亡人で、自分の母親*2と子供3人*3満州帰りの妹家族(これは面倒見てたの短期間みたい)を食わすために、パーマ屋をやったら当たったらしい。長崎のアーケードのど真ん中から20mの通りに店を出してた。私が子供の頃だから、丁度昭和40年ごろでまだまだ戦後。店は昔の床屋さんに典型的だったたてに波模様と言うかの飾りガラスが全面に張ってある店で、田舎から奉公とは言わないんだろうけど働きに出てたお姉さんがたくさんいた。そこに行くと私は「先生」のお孫さんのお坊ちゃんとして扱われたので、何だかものすごく居心地が良かった。裏の方に簡単な台所があって手打ちうどんとか食べさせてもらってた記憶がある。店には怪しげな機械があって、何かというと「ほくろ除去マシン」だと聞いた。ものすごく怪しい記憶なので、もしかしたら叔父かなんかにおちょくられたのかもしれないから今度確認しないといけないけど、祖母も自分に出来てたほくろをずいぶんそれで取ったと言っていた気がする。原爆の後遺症は確かにあった*4ので本当じゃないかと言う気がする。ま、これが刷り込まれたと言うわけではないとは思うが人が集まるなら、男性より女性*5の方が、全然安心。駐在者の集会でも奥さん連中の方についすり寄って行ってしまい、スケベ中年丸出し。おばあちゃんゴメン。*6

*1:めがねをかけてたのでメガばあ

*2:これが「ヨイショ、ヨイショ」と言うのでヨイショばあ

*3:長女が私の母親、以下叔父と叔母

*4:祖母は爆心地に祖父の遺体確認、そもそもは探し、に行かなきゃならなかった

*5:ストレートに書くと少ない知り合い失うので硬い表現。。。失礼

*6:私が高校生の時に亡くなったので来年で33回忌