祭壇


5時半に目覚ましをかけたんだけど、気合は入らないので出発はギリギリ。京急で羽田へ。搭乗手続きして待合室に入ると前方に母方の埼玉の叔父夫妻/千葉の叔母夫妻がいた。朝早くから有難い。搭乗間際で弟も合流し関東組*1は勢ぞろいした。飛行機は*2順調で、10時前には地元着。結局、人数も多すぎるので高速バスで移動。バスを降りTAXIで大学病院へ。丁度、下の妹一家も到着した所で兄弟勢ぞろい。
父は午前中の予定で病理?解剖を行っているので、霊安室*3に行くと丁度母が葬儀屋さんと打ち合わせに入ったところだった。今回葬儀屋は、父が生前母に「今から○×に行ってくる」とよく言っていたのを覚えていた母が訳も解らず頼んだらしいが、父の会社のOB会と契約があり大物の料金は50%引きだったので助かった。*4
母は意外と?落ち着いていて「喪主は当然私がやります」ってな感じ。ところが、最大の難関については葬儀屋の担当君ともども認識が甘かった*5
葬儀屋から会場の大きさをどれぐらいにするかとか、お棺をどうする*6/骨壷をどうする/お礼状は?/お返しをどうする/数は?/大体、お通夜と告別式は一体いつにするのか?/・・・とやっていると父が戻ってきた。簡単な祭壇風にストレッチャーから移されて、棺の窓を開けてやっと対面した。この辺では、これから母をサポートして葬式を出さなきゃと気が張っているのか全然悲しくない。*7主治医の先生が一旦見えるが、書類作成があるのでしばらく戻られた。父方の伯母・叔母*8はこの時点では地元で移動の準備中*9なのでその場にいた母方系と子供で順番に父に挨拶しているうちに先生が死亡診断書とレントゲン等を携えて戻ってこられた。
直接の死因は胸部大動脈瘤の破裂により胸クウ内に血液が2L程度流れ込んでしまった事によるものだそうだ*10。母は確かに呼吸が苦しそうだったと言っていた。医者なんて患者が死んでもけろっとしているのかと思っていたが、先生の眼も心なしか赤くなっている気がして有難いと思った。レントゲンとMRIの写真を見せてもらったが、鎖骨の下あたりに出来ていた動脈瘤は拳骨ほどもあり破裂しないのがおかしいと言えるものであり、こんなのが心臓の上辺りにあったら何にも出来ないのは当たり前だと思えた。実は父は発声や嚥下が2年以上困難になっていたのが、昨年の秋突然声も普通に出て老人介護の集会でカラオケを楽しめるまでに回復して喜んでいたのだけれど「あれは壊れかけの機械が最後に調子よくなるようなもんだったんだな」と納得してしまった。
ここで、とにかく病院は出て目と鼻の先の葬儀場へ病院持ち*11の霊柩車で向かう。
葬儀場についてもとにかく決まらないのはお通夜の開始時間。なんせ、お坊様がつかまらない。母方の私の曾おばあさんから親しくして頂いているお寺が用事で出ている。結局、葬儀社の方から紹介してもらう。お願いしたご住職は先のお坊様と親しくされているそうで引継ぎもお願いできそう。ほっと一息。会社にもやっと式の時間等を記入したFAXを流す事が出来た。ここですぐ下の妹のお友達が手伝いに来てくれた。なんせ年寄りばかりなので受付を引き受けて頂き助かる。
実家の方の風習ではお通夜はこの北関東と違ってお客様には食事の振る舞いは無いそうだ。式場に付属した控え室がこの会場では3DKの和風の家に仕立ててあって、そこで親族で夜を過ごすのが慣わし。と言う事で、移動中の父方の軍団の晩御飯も発注しとかなきゃと言う事で30人前発注*12
会場は、実は父が花好きだったと言う事である程度の花を設定してもらう。また、兄弟が多いのは今となっては有難い事で、それぞれの会社関係からそこそこの数の花束が届いて会場は侘しい感じは無く良かった。。。
19時からのお通夜の1時間前にご住職到着。ご挨拶し、戒名の都合で父のひととなりを簡単に聞いて頂く。さすがに急な話だし、父は引退してずいぶんになるし我々子供達も全く故郷とは関係無い所で働いているのでお通夜に来て頂けた人数は限られていた。告別式もこの調子だったらどうしようと不安がよぎる。
ご住職は立派なお経と、宴のために歌*13まであげていただき私が言うのもなんだけど良いお通夜の式だった。
その後、しばらくしてお年より軍団到着。なんせ7人姉妹が85歳?〜67歳?だっけかな?で勢ぞろいなのでずいぶん大人しくなったとは言え賑やかだ。父は上のほうのお姐さんにはずいぶん可愛がられたみたいで、皆お棺の中に色々と話しかけてくれる。お線香を切らさないようにし、料理をつまみながら色々とお話を聞く。私も完全に母方との付き合いの方に偏っていて、父方とは冠婚葬祭でしかお目にかからなかったのにな〜。
母はやっぱり疲れていたらしく、10時過ぎに一旦寝てしまった。妹達もチビ*14の世話と祭壇を置く部屋の片付けがあるので実家へ戻った。弟と母方はホテルへ。ま、根性無いので徹夜は苦手なんだけど、頑張るしかないかと。。。母が2時過ぎに起きて来て2時半から4時まで仮眠。起きてったら、もうちょっと寝ろよと言われ6時まで寝てしまった。

*1:家の小僧はさすがに風邪引いたばっかりなので、泣く泣くお母ちゃんと一緒にお休み

*2:私だけクラスJだし。。。orz

*3:冷たい暗い部屋では無く畳の部屋とかあって休憩できる

*4:ま、肝心の中身も暖かい感じで良かったけどね。。。

*5:ま、こんなの場慣れしてる素人なんて居ないのかもしんない。。。

*6:大学病院が準備してくれたものは見るからに化粧合板製で何だか悲しいので、葬儀屋お勧めの一見桐白木風にアップグレードした

*7:大体、死に顔なんて全く穏やかで少し微笑んでるようにさえ見える。母が看護婦さんに死に化粧についてお礼を言っていた。

*8:父は9人兄弟なんだけど、唯一の男兄弟のお兄さんは昨年亡くなっている

*9:なんせ皆お年寄りなのでまず移動して、と言うわけには行かない。

*10:数字等はうろ覚え

*11:解剖協力者は病院持ち。ちなみに車種はクラウンでキンキラキンではない奴

*12:結局、皆新幹線の中で駅弁で済ませてきちゃったので大量に余らせた。。。orz

*13:もちろん、お経なんだけど歌

*14:下の妹のところの小僧2人